視点を変えて見てみよう

日々のありふれたできごとを、ちょっと違う視点から見るのが大好きな二児の母の日記

『鹿の王』を読んで考えたこと

久しぶりに『鹿の王』(上橋菜穂子著)を読んだ。

小説を二度読むことはあまりないのだが、

未知の感染症をめぐるこの物語を、

コロナ禍の今、もう一度読んでみたくなったのだ。

 

鹿の王 (上) ‐‐生き残った者‐‐

鹿の王 (上) ‐‐生き残った者‐‐

 

 

上巻で特に心にとまったのが次の箇所だった。 

 

意識のない状態でも、命を支えるためにひたすら動き続ける身体。ーー 思い、考える自己とは別の生き物であるかのように、自分が眠っている間も、ひたすら動き続ける組織・・・。

 

健やかなときは心が身体を動かしているような気がしているが、病めば、身体は、心など無視して動く。それを経験して初めて気づくのだ。ーー身体と心は別のものだと。 

 

この文章を読んで、ハッと気づいた。

普段、身体の声をちっとも聞いていないことに。

 

ときどき、身体が妙に重く感じたり、

ちょっとした動作を億劫に感じたりすることはあるが、

「今日は少し疲れるな…」と思うだけ。

 

身体の状態を感じることより、

「今日の予定をこなさなきゃ」が最優先の毎日。

 

でも、それを最優先できるのも身体が健康であるから。

 

この物語を読んで、

今年はもっと身体に注意を払ってみようと思った。身体あってからこその心なのだから。

 

「身体と心」はこの物語の重要なテーマのひとつ。

コロナ禍で外出自粛の今、身体と心のバランスが崩れがち。

『鹿の王』を読んで、身体と心のバランスについて改めて考えることができた。

 

次は下巻で考えたことを書き留めたい。

『いま、ここで輝く』を読んでみた

 「イモニイ」というカリスマ教師のルポルタージュを読んでみた。

いま、ここで輝く。 ~超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室

いま、ここで輝く。 ~超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室

 

 

一度読んでモヤモヤしたから、二度読んでみた。

 こんなにモヤモヤが残る本は久しぶりだ。

 

決して著者の文章のキレがないからではない。

むしろその逆だ。

 

この本を読んでいると、いろいろなことを考えさせられる。

 

「こどもをありのままを承認するって、できるのだろうか?」

「私の思い込みってなんだろう?」

「何がそんなにこどもたちを窮屈にさせているのだろう?」

 

でも、この本にはこれらの疑問に

ずばりとは答えてくれていない。

 

「すぐに正解をしりたい。」

 

そんな姿勢に「NO」を突き付けられる。

 

論理的に考え、手を動かし、間違え、

根拠を疑い、試行錯誤して、思い込みを

ひとつずつ捨て去ることで、

ひとは再び少しずつ自由になれる。

 

この本を読んでいると、考えずにはいられない。

 

モヤモヤが残っていいのだ。

なぜって、モヤモヤが残るからこそ自分で考えるからだ。

 

だから、この本を読んでモヤモヤが残るのは

著者の文章のキレが悪いからでは決してない。

 

むしろその逆なのだ。

 

 

子どもが高価なおもちゃに落書きしたらどうする?

小さな子どもはお絵かきが大好き。

でも…

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こんなふうに積み木に直接落書きしたら、皆さんならどうしますか?

(ちなみにこの積み木は一箱数万円する高価なものです。)

 

この写真はわが家の積み木のほんの一部です。ほかにも落書きをしたものはたくさんあります。

 

落書きをしたのはかなり前のことなので、

もう詳しいことは覚えていないのですが、

「クレヨンやボールペンでかくと後で消せないから、

鉛筆でかきなさい。」とでも言ったのでしょう。

写真の落書きは鉛筆でかかれたものばかり。

 

今となっては、「あのころ、あんな遊びをしていたんだなあ…」と

懐かしい思い出になっていますが、

真新しい積み木に何の躊躇もなくクレヨンやボールペンで落書きされたときは

ただただビックリしたことを覚えています。

 

 新品の積み木に落書きをしているのに、

なんの罪悪感もためらいもないことに驚いたのです。

 

それでも、

わが家では積み木に落書きしてもよいことにしていました。

 

確かに高価ですぐに買い換えができないものに落書きをしてしまうのは、

良くないことでしょう。

 

例えば、家族みんなで使っているテーブルやタンスに落書きをされたら、

それはいけないことだと教えなければならないと思います。

 

でも、積み木は子どもに与えたものです。

子どもが遊ぶために与えたものです。

そんな積み木に落書きをするのは、本当にいけないことなのでしょうか?

 

実は、私がこのように考えるようになったのは、

子どもが通っているピアノの先生とのこんなやりとりがきっかけでした。

 

娘がピアノ教室に通い始めたばかりのことです。

先生から頂いた新しいテキストには可愛い動物の絵がたくさんありました。

娘は家に帰ってから早速、その動物たちにカラーペンで色をぬり始めました。

そこまではよかったのですが、

なんと、同じページにある楽譜の上にぐちゃぐちゃな線を引いてしまったのです。

しかもカラーペンで!

 

私は翌週のレッスン時、先生に

「楽譜に落書きしてしまって申し訳ございません。」

と謝りました。

ところが、先生は意外にも、

「いいんですよ。自分の(楽譜)だって思ってくれているってことですから。」

と優しく言ってくださいました。

 

ピアノを習い始めた今、

楽譜をきれいに扱うことよりも、

子どもがピアノに関心を持つことの方が大事だということを

先生は教えてくれたのだと思います。

 

そういえば私は

モノを大切にすることは、

そのモノをきれいなまま保持することだと思い込んでいました。

 

でも、ピアノの先生とのやりとりを通じて

モノを大切にすることは、

そのモノをとことん使いこなすことなのではないかと気づいたのです。

 

積み木も同じです。

きれいに保つよりも、とことん遊んでほしい。

どんどん創造して、集中して遊んでほしい。

そのほうがずっと大切だと思ったのです。

 

そんなこんなで落書きだらけのわが家の積み木。

実はその落書きが今ではちょっと邪魔なのだとか。

 

「きれいなものをつくりたいとき、落書きが邪魔になるから

落書きがかいてある面を隠さなくちゃならないんだよね。」

と小学4年生の息子が言っていました。

 

それも落書きをしたからこそ学べること…

だと思うことにします。

 

今から思えば、

積み木遊びをしているときは、

クレヨンやペンなどを手の届くところに置かないように

環境を整えればよかったと、ちょっぴり反省しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

積み木を使った具体的なサポートで息子が難題をクリアした話

 

子どもが、難しい問題にチャレンジしていたのに、それをさっさと諦めてしまったことはありませんか?

 

わが家には小学4年生の息子がいますが、夏休み前にこんなことがありました。

 

その頃、息子は学校の算数の授業で角度を習っていました。

初めて使う分度器がどうやら気に入ったようで、その日は家に帰ってから「自主学習ノート」にいろんな角度の図をかいて楽しんでいました。

 

そんなことをしているうちに、なぜか「正六角形をかいてみよう」と思いついたようでした。

 

そこで、定規と分度器を使ってしばらく試行錯誤したのですが、思っていたよりも難しかったようで、ノートに「やっぱりかけませんでした。」と書いて、さっさと諦めてしまいました。

 

私はというと、息子が試行錯誤している間、何か熱心に取り組んでいるなぁと思ってはいたのですが、何をしているかは見ないで他のことをしていました。

 

そして、しばらく経ってから、

「今日の自主学習は何したの?」と声をかけて、ノートを見せてもらいました。

 

するとそこには「やっぱりかけませんでした。」と書いてあるではありませんか。

 

せっかくいいテーマを見つけたのにもったいないなぁと思った私は息子に、

「なんで正六角形をかこうと思ったの?」と質問しました。

 

「今、角度の勉強をしていてね、なんか(正六角形が)かけそうだと思ったんだよ。でも、わかんなかったからやめた。」と息子。

 

そこで私はしばらく考えたあと、すぐ近くにあった正三角柱の積み木を6つ持ってきて、こんなふうに並べて見せました。

 

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「正六角形って、こういうカタチだよね。丸に似てるよね。」

と私がヒントを出したら、

息子は途端にひらめいたようで、定規と分度器のほかにコンパスを用意して、正六角形をかくことに再チャレンジし始めたのです。

 

(ちなみに、私は積み木で正六角形を作った時点で、どうやって正六角形をかいていくのか分かっていませんでした…)

 

念願の正六角形をかくことができたあと、息子が実に満足そうな顔をしていたのが今でも印象に残っています。

 

子どもが難題に取り組んでいるとき、答えを教えてしまうのは子どもの思考を遮ることになってしまうでしょう。

 

でも、ほんの少しサポートすることで、子どもの思考を後押しできることが分かりました。

 

そしてサポートするときは、積み木を使ってカタチを示すなど、具体的なサポートの方が効果が高いのではないかと思いました。

 

難しい問題に出会ったとき、具体的なモノに置き換えてみると、途端に分かりやすくことは大人でもよくあることですから。

 

ところで、息子と私がいろいろとやりとりしている間、中学生の娘が自分の宿題をやりつつ、それを見ていたようで、

「それ(正六角形)ってコンパスだけでかけるよ!」

と自慢げに教え始めました。

 

息子はその手順の鮮やかさに唖然としてしまい、理解できなかったと思いますが、ほかにもやり方があるんだということだけは学んだようでした。

 

そんな学びも、あのとき諦めたままにせず、ほんの少しのサポートで難題をクリアしたおかげだと思っています。

 

 

 

 

 

 

私が筋トレを始めた理由

最近、筋トレを始めた。

今まで近所のヨガレッスンに通ったり、友人と姿勢を意識したウォーキングを楽しんだりして、自分なりに健康を意識して生活に運動を取り入れてきたつもりだった。

 

それなのに、今年6月に受けた健診で「糖尿病の疑いあり」と診断されたのだ。

運動にも食事にも気を配っているはずなのにどうしてだろう?

理由が思い当たらない。

 

健診の結果票には「糖尿病の疑いあり」とだけ書かれていて、どんな対策をしたらよいかは何も書かれていない。

 

このまま放っておいてもよいのか、とても不安になったので、健診を受けた病院に電話をかけてみた。

 

すると、看護師さんが意外と親切に対応してくれた。

 

要は年齢とともに代謝が落ちていて、食事量と運動量のバランスが取れていない状態らしい。

 

自分ではどちらも意識しているのに…

とは思いつつも、毎日運動しているわけでもないので、これから何か運動してみようと思った。

 

そんな矢先、たまたま立ち寄った書店で見かけたのがこの本。

女性が医師に「運動しなさい」と言われたら最初に読む本

女性が医師に「運動しなさい」と言われたら最初に読む本

 

 

この本によると、

「1日一万歩」を続けるよりも、筋トレをした方が効果が高いのだそうだ。

 

脂肪を燃焼させるための運動と言えば、多くの人が思い浮かべるのが、ウォーキングやランニングなどの「有酸素運動」です。しかし、筋肉量が少ない状態で有酸素運動をやるよりも、まず筋トレをして筋肉をつけたほうが“近道”なのです。筋肉が増えると基礎代謝が上がり、その分、脂肪の燃焼も多くなります。

また、糖尿病を予防・改善するためにも、筋肉量を増やして糖をたくさん消費しやすい体にすることが大切です。

 

そうだったのか!

効果的な運動には順番があるんだ。

まずは筋トレをして筋肉をつけてから、有酸素運動をする。

この本を読んで「その順番でいこう!」と大いに納得したのが、私が筋トレを始めた理由だ。

 

NHK「100分de名著」で『ハイジ』に再会

私は毎週楽しみにしているテレビ番組が1つある。

それはNHK Eテレの「100分de名著」。

 古今東西の名著1冊を 1回25分、 4週に渡って指南役の先生とともに読み解いていく番組だ。

 

その番組で今月取り上げられたのがアルプスの少女ハイジ

 

アルプスの少女ハイジと言えば、私がまだ幼かった頃、とても楽しみにしていたテレビアニメだ。

 

おじいさんの家の藁で作ったふかふかのベッドや、そこから見える星空、クララのお屋敷で食べた柔らかな白パンなど、アニメを見てからもう何十年も経っているのに未だに印象に残っている。

 

なぜだろう?

 

もしかすると、私はアニメを見ながら、藁のふかふかなベッドの感触を味わっていたのかもしれない。

そして、そのベッドから満天の星空を見上げてみた気分になっていたのかもしれない。

白くてふわふわなパンをほおばっていたのかもしれない。

 

触覚や視覚、味覚をアニメを通して使っていたから、未だに覚えているのではないかと思っている。

 

そんなアニメの「アルプスの少女ハイジ」は、実は原作と違う場面も多々あるのだそうだ。

 

例えば、アニメではクララが立つ練習をしてから実際に歩くまではかなり時間がかかったけれど、原作では立つ練習をしたその日に歩けてしまうのだそうだ。

 

また、夢遊病にかかったハイジに故郷へ帰るように勧めたお医者様が、原作では影の主役ともいえるほど活躍するのだとか。

 

今月の「100分de名著」で久しぶりにハイジに再会できた。

 

これから原作を読んでみたいと思う。

 

原作を読んで、どこに惹かれるのか、今から楽しみだ。

 

 

『指輪物語』を読破

あの『指輪物語』を先月やっと読破した。一生に一度は読破したいと思っていた物語だ。今年の2月から少しずつ読み進めてきた。

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文庫本にして9冊の長編。

以前『ロードオブザリング』の映画が流行っていたころ、原作を読もうと思い立ったが、途中で挫折。

振り返ってみれば、あの頃はまだ独身だったものの、会社員としてがっつり仕事をしていた。それに、確かあの頃は今のようにAmazonでポチしたら本が家に届くというような買い物の仕方は一般的でなく、本は仕事帰りに書店に立ち寄って買うものだった。

指輪物語』は長編なので、一気に全巻買うとかなりの重さになるので、一冊ずつ買っていた。多分2、3巻までは買ったと思う。

そして、そのうち仕事が忙しくなり、フェードアウト…

そんな感じだった。

 

でも今はスマホでポチすれば、数日後には家に品物が届く時代。

しかも全巻セットだとこんな地図が付録で付いてくる。

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お値段はそれなりに張るので、少々迷いつつも、ポチしてみた。

 

さて、気合いを入れて読み始めると、本題に入る前の序章が説明的で、やや退屈…

しかし、第1章からはさすがに面白かった。そして、付録の地図にはずいぶんと助けられた。地図のうらには登場人物の説明もある。何しろ地名や人名がたくさん出てくるので、覚えるのが大変。それを付録が補ってくれるのだから、物語に入り込める。

 

指輪物語』は全てのファンタジーの原点といわれている作品。

スターウォーズも、ジブリ作品も、上橋菜穂子氏の物語も、この作品に影響を受けているのだろうなぁと感じる場面が多々あった。

 

一生に一度はやってみたいと思ったことにチャレンジしてみて、それを成し遂げた達成感は半端ない。

 

まだまだ読んでみたいと思う本はたくさんある。さて、次は何にチャレンジしようか。