美術作品を鑑賞して思ったこと
先日、東京ステーションギャラリーの企画展「吉村芳生 超絶技巧を超えて」を家族で観に行きました。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201811_yoshimura.html
展示されていた作品は、どれも鉛筆や色鉛筆というどの家庭にもある身近な道具で描かれたもの。それがまるで写真のようにリアル。
ちなみに上の写真の作品は、新聞紙の上に鉛筆で自画像を描いているように見えますが、実は新聞紙も手書きです。
今回は、たまたま友人のフェイスブックの投稿を見たのをきっかけに、色鉛筆で絵を描くのが好きな娘に観せたくて、この企画展に行くことにしました。
そういうわけで、私自身は美術鑑賞にはあまり関心がないのが正直なところ。
だから、素晴らしい作品を目の前にしても、どこをどう観てよいのかよく分かりません。ただなんとなく眺めてしまいます。
でも、よく美術作品は自由に観てよい、と言います。感想は人それぞれだと。
そこで帰宅後に、コーチングを学んでいる子育て中の母として、頭の中で鑑賞し直してみることにしました。
まず頭に浮かんだことは、今日観た作品は人が描いているからこそ「すごい!」と感じたことです。写真みたいで写真ではない。そこに驚いたのです。
もしこれらの作品が絵ではなく写真だったら、こんなに感動するだろうか?
たぶん、ここまで感動しないんじゃないか。
だったら私は何に感動しているんだろう?
それは、作者のGRIT つまり「やりぬく力」、それと身近なものを切り取る力なんじゃないか。
畳何畳分もある作品を色鉛筆で仕上げる根気。一体、作品を完成させるまでどのくらいの時間をかけたのだろう。
新聞紙の上に自画像を描くという発想。
普通は背景にあってもないことにされてしまう金網に焦点を当てて、それだけを延々と描くという発想。
そんな目に見えないことに感動したんじゃないか。
たぶん、写真だったらこんな風には思わないはず。
人の目って、見えないことも見えるんだと思えてくる。
そう考えると、子どもたちのことも、目に映るところだけでなく、そうでないところも見ようと思えば見えるんだと思えてくる。
工作やってゴミを散らかしっぱなし!という面もあるけど、こんなモノを作ろうっていう発想がいいな!とか、
学校の宿題やらずに、漫画ばかり読んで!という面もあるけど、実は内容的に素晴らしい物語を鑑賞しているんだ…とか。
どうやら私も私なりの鑑賞ができたようです。